はじめに
古代から現代までの東海道ルートの歴史について、6回に分けて解説します。
日本書紀に登場する「四道」から現代の「新東名高速道路」まで、東海道は常に日本を代表する幹線道路であり続けています。
第3回は、近世です。
参勤交代のルートとして、江戸を中心とした五街道が発展しました。
五街道の東海道
慶長6年(1601年)に徳川家康が東海道宿駅伝馬制を定めたことにより、東海道は江戸と京都を結ぶ道と再定義されました。
この東海道宿駅伝馬制度に基づく東海道を一般に「近世東海道」と呼びます。
その後、東海道は大坂まで延長され、寛永元年(1624年)に57個の宿駅が揃い、東海道五十七次となりました(2024年はちょうど400周年にあたります)。
幕府直轄の街道としては、東海道、中山道、日光道中、奥州道中、甲州道中の五街道が定められ、それぞれ宿駅伝馬制が敷かれました。
その中でも、江戸(幕府)、京(都)、大阪(商都)を結ぶ東海道は、最重要街道として人、物、情報を運ぶだけでなく、さまざまな文学や芸術の舞台となり、日本の文化の発展に大きく貢献しました。
東海道ルートの歴史(4) 近代 に続く
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